【連載】Vol.001 サッカー香港代表・中村祐人という生き方
「内側靭帯を痛めてしまいました。これからMRIを撮りに行きます」
久しぶりの香港現地取材(半年ぶり)を申し込むと思わぬ返答が来て驚いた。いずれにしろ、取材時に詳細を聞けるだろうから「お大事にしてください」とだけ返信しアポイントを確定させた。
約束したカフェに到着すると、私は挨拶もそこそこに怪我の状況を聞いた。練習中に接触して痛めたという左ひざをさすりながら復帰までに3〜4週間かかるだろうと男は話した。私はこれまで何度も魅力的なプレーの数々を生み出してきた彼の足をまじまじと見ながら、そこに刻まれたプロキャリア、そして人生の道程に思いを馳せた。
中村祐人はプロサッカー選手としては極めて怪我が少ない。細々とした怪我はもちろんあったが、選手生命に及ぶ怪我や年単位の長期離脱を余儀なくされる怪我はしていない。その彼が香港国籍を取得し、香港代表としてのキャップも踏み、またクラブにおいては香港きっての強豪であり名門の傑志SC(Kitchee SC)に移籍した今季、怪我に悩まされていた。一度目は昨年12月の公式戦でチームメイトとの接触ですねを痛めておよそ3ヶ月ほどチームを離脱。その後、復帰して香港リーグのみならず、アジアのカップ戦でもプレー(北朝鮮の平壌での試合!)していたが、シーズン終盤のここに来て再びの怪我による離脱となってしまった。私の取材はその直後に行われた。
傑志SCは今季のリーグ戦で苦戦を強いられた。ここ4シーズンで3度の優勝を誇るチームは勝ち星を重ねることができず、取材時点でもうリーグ優勝はなくなっていた。ただ今季のタイトル、そして来季のアジアでの戦いを獲得する意味でも非常に重要なFA杯(FA杯優勝チームは来季のAFC杯に出場できる)がまだ残されていた。だが残念ながら決勝までに中村祐人が復帰できるかどうかは微妙だ。そして、今まさに今季のAFC杯を戦っており、グループリーグの戦いは6月まで続く。そこには復帰できる見通しだ。
私は怪我の次に気になっていた話題を聞いた。既述のAFC杯で同グループとして戦っている北朝鮮の4.25SCとのアウェイ戦だ。試合には敗れたが、先発した本人は自身のパフォーマンスには納得していた。今季、怪我による離脱、途中出場、また慣れないポジションでプレーせざるを得ないなどシーズン通して決して順調とはいえない状況の中、この試合について語る中村祐人には明るさが漂っていた。また移動や入国、平壌という街や人々の様子も教えてくれた。詳細は省くが、政治や体制はさて置き、街や人々についてはまったくネガティヴな印象はなかったそうだ。サッカー選手はこうして普段我々がニュースでしか知ることのない国や街でプレーすることがあり、単なるプロのアスリートという枠にはまらない豊富な経験や見識を持っている。
さて、今回の取材で私は極めて「事務的な」話をする必要があった。それは私が中村祐人の半生記を描いた著書についてだ。実はこの連載のタイトルがすでに著書に触れている。今回私が出版する、ライターキャリアとしては2作目となる著書のタイトルが「サッカー香港代表・中村祐人という生き方」なのである。その出版が間もなくとなり、プロモーションや関係者への贈書について彼に意見を求めたのだ。中身はもちろん、カバーや帯のデザインなどについてはすでに彼に確認していたが、この日は出版後の諸々について意見を求めた。
今回、私はいつものインタビュー形式ではなく、ざっくばらんな雰囲気で取材させてもらった。著書「サッカー香港代表・中村祐人という生き方」の取材で、レコーダーをいくつも置きながら散々彼を質問攻め(彼の奥様にも!)にしてきたことへの後ろめたさもあったが、私自身も一度、ライターとしてではなく個人として接したかったというのもあった。さらに、著書を出版して以降の距離感についても確認したかった。香港代表に登りつめ、地元香港のメディアで報道されてきた記事は私も中国語メディア、英語メディアを問わず目を通してきた。その中には大手メディア、権威あるメディアもあった。そんな彼を取り巻く環境の変化に対して、ライターとしてこれまで通りの距離感で接するのはおこがましいというか、馴れなれしいというか、甘えが過ぎるというか、気軽過ぎるというか…。ともあれ自分自身でもよくわからない曖昧模糊とした感情が生まれていたのだ。もちろん私は中村祐人を追い続けてきたライターとしての誇りもプライドも自負もある。だからこそ、彼の著書も出版するのだが、それでも一度、しっかり確認しておきたかった。そんな想いをぶつけると中村祐人は「確認の必要あります?どうぞこれまで通り取材してください」といつものあの気さくで優しいキャラクターで答えてくれた。いや、正直に言うと彼ならそう答えてくれるだろうと思ってはいたのだが、それでもやはり確認したかったのだ。彼の飾らない人間性に私は救われた。
というわけで、「サッカー香港代表・中村祐人という生き方」という、間もなく出版の運びとなる著書と同じ名前を付けた本連載を発信していく運びとなった。著書のほうはあくまで彼の半生記である。誕生から香港代表に登りつめるまでを描いた。だが、中村祐人のサッカー人生は当然ながら現在進行形だ。今後も、その姿と生き方を追い、書き続けていきたい。その仕切り直しとなったのが今回の取材だった。握手して改札を通り電車に乗り込む私の姿を、中村祐人はずっと見送ってくれていた。
続く