【メディア配信】香港紙「明報」が中村祐人を特集!記事を日本語訳してみました。(あくまで私の日本語訳です。意訳、編集あります)
日本国籍を放棄し香港籍を獲得した香港人・中村祐人。
現地で育む地元への想いとは。
広東語を学び、香港サッカー史を研究。
「もう香港人ですよ」
香港に来て約10年。傑志(キッチー)のMF中村祐人は昨年10月、日本国籍を放棄し、香港特区のパスポートを取得し、香港人となった。これは単なる身分証の変更ではない。これまで香港で過ごしてきた中村祐人は、広東語を学び、自ら香港サッカー史を研究し、将来は香港の子供たちを指導したいと願っている。自分の身をもって「真の香港人」たろうとしている。
旧暦の大晦日。香港人は毎年この日を祝うが、それは中村祐人も例外ではない。香港人となって初めて迎える新年。彼は萌加夫人を連れて年末を堪能した。桃の花を鑑賞し、猪年のグッズを眺め、伝統菓子を初めて味わった。年末年始に行われているニューイヤーカップに参加しない中村祐人は試合を観戦する側となったが、その他の多くの時間は自宅で過ごした。また結婚5年となる中村夫妻は「郷に入っては郷に従え」のことわざの通り、親友やチームメイトと現地のやり方でこの年末年始を過ごした。
昨年10月以前は、中村祐人はまだアジアからの助っ人の立場で香港プレミアリーグで戦っていた。香港での連続居住が7年を超えた彼が香港特区のパスポートを取得した10月12日以降、彼はすぐに香港代表に選出され、アウェイでのインドネシア戦に出場。「最近は街を歩いていると写真を撮ってくださいと言われることが多いです。それに、僕が香港代表として試合に出たことに感謝してくれる人もいますね」と彼は語る。実際、大晦日の取材でも、沿道で中村祐人に記念撮影を依頼する若者がいた。ただ、ネット上ではネガティブな声もあり、日本国籍を放棄した彼に心ない批判もある。だが、中村は言う。「僕はそんなの気にしてません。香港人になったことに、誇りをもっていますから」
香港人になってから、中村祐人は本格的に広東語を学んでいる。チームでのトレーニングを終えると、午後に1時間、1対1で講師をつけて広東語の講義を受けている。今シーズンから傑志(キッチー)に移籍した彼は、外国人選手とは英語で話し、香港人のチームメイトとは広東語でコミュニケーションする。本紙の取材を受けたときも、できるだけ広東語で答えようとチャレンジしていた。「僕はもう香港人。広東語は母語なので、習得は必須です。妻は僕より早く広東語の勉強を始めたので、僕より上手に話せますよ」。かつてポルトガルでのプレー経験がある中村祐人は、日本語の他に英語、そしてポルトガル語も少し話すが、広東語はそれらよりも難しいという。「特に発音がね。話すだけでなく、書く勉強もよくしています。これはとても重要です。多く書けるほど、覚えるのが容易になりますから」。
広東語以外に、中村祐人は香港サッカーを本格的に学び始めた。「ネットやYoutubeで香港サッカーの歴史や過去の試合の映像を見たりしています。また、ウィキペディアでかつての香港サッカーの名将について調べたりしています」。中村祐人は昨年5月、夫人と共に約4年間にわたり続けてきた香港在住の日本人児童を対象としたサッカースクールの経営に区切りをつけ、再びプレーヤー生活に専念した。32歳となる彼はスパイクを脱いだ後の心境も吐露した。「(日本人の子供だけでなく)香港の子供たちも指導したい。なぜなら、僕はもう香港人だからね」。
2009年に香港プレミアリーグのTSWペガサスに加入した当時、若く自信に満ちた中村祐人は、ピッチ上で何でもできると感じていたという。だが、時間の経過と共にメンタルにも変化が生まれた。「今は、すべてのことができるとは思っていません。僕はパーフェクトな人間ではないし、チームメイトとの協力が不可欠です」。中村は今シーズン、11試合に出場して2ゴール。昨年末にすねを故障したこともあり、香港代表での「省港杯」(Cantone HongKong Cup)と傑志でのカップ戦決勝(シルバーシールド杯)を欠場した。チームは来週、ACLプレーオフで、マレーシアのPerakとのアウェイ戦を控えている。中村は復帰の可否は不明としているが、忍耐強く回復を待ち、復帰した際には所属クラブで実力を示し、再びの香港代表を勝ち取る決意だ。