【メディア】香港と日本に思いを馳せる魂のフットボーラー
【香港と日本に思いを馳せる魂のフットボーラー】
5月8日。
夫婦でインタビューと写真撮影を行うため全湾まで出かけました。ホンハムに住む僕らは区をまたいで出かけることがとても久しぶりでした。おかげさまで香港では新型コロナウイルスの状況が改善傾向にあるので、妻と一緒に外の新鮮な空気を吸って、青空や雲を眺めることができました。今でもまだ気を抜くことはできませんが、今年の2月や3月に比べるとだいぶ落ち着いてきて、その時ほどの不安はありません。
思い出すのは3月22日のことです。あの日はFA杯の準決勝でR&F富力との対戦でした。試合前、クラブから「もしかしたら今シーズンの最後の試合になるかもしれない」と告げられました。日本のJリーグは2月末の時点ですでに公式戦の開催を中断していましたし、香港でも公式戦のいくつかは中止になるかもしれないという情報は聞いていたので、香港プレミアリーグの中止も覚悟していました。
試合前にそういう情報を聞かされて、プロサッカー選手としての魂に火が付きました。決勝まで進めたとして、その決勝戦が延期になってしまうとしても、必ずこの試合に勝つと心に決めました。残念なことに、試合は延長でも決着がつかずにPK戦の末、敗れてしまいましたが、本当にいい試合をしたと思いますし、ピッチ上で1分、1秒に全力を注ぎました。あの時はただただ「一生懸命」にプレーしていましたが、今振り返ると、新型コロナウイルスの状況を考えたら(よく試合ができていたなと)少し怖く感じますね。試合後、ロッカールームを出るときは、3週間後にはまたチームメートのみんなにピッチで会えるなと思っていました。
毎年、初夏の時期(香港では4月から5月にあたる)はシーズンのクライマックスとなるとても重要な時期で、毎年猛暑の中プレーしてこの時期を過ごしてきた僕にとって、練習も試合も突然なくなってしまうというのはシーズンオフやケガでの戦線離脱以外では初めての体験ですね。
コロナ対策でステイホームを余儀なくされていたわけですが、もちろんだからといって惰性に流されてしまうわけにはいきません。僕は今年で33歳ですが、今後もずっとプレーしたいですから、1分1秒たりとも無駄にはしたくなかったです。サッカー選手のコンディションは(トレーニングを欠かすと)簡単に下がってしまうので、とにかくコンディションを下げないように気を付けました。プロサッカー選手は子供のころからの夢でしたからね。
毎朝8時前には起床して、部屋の掃除をしてから、家の中でウェイト系のトレーニングを1時間から2時間ほどしました。グランドや公園がすべて閉鎖されていたのを見て、これまで自由にサッカーができていたことにありがたみを感じましたね。長く香港でプレーしてきましたが、こういう状況になって、香港に来たばかりのことも思い出しました。
早いもので、もう10年以上が経ったんですね。すべては2009年にペガサスに入団したところから始まりました。今でも覚えていますが、初めてペガサスのユニフォームに袖を通してプレーしたデビュー戦で、開始わずか5分でゴールを決めました。もうどれだけ嬉しかったか。人生初のプロキャリアの試合でゴールを取れたことで自信を持てましたし、逆にまたプロの世界の厳しさや弱肉強食の世界の残酷さを感じました。
僕は更なるレベルアップを心に誓いました。
サッカーだけでなく、チームメートや生活、文化など、僕はすぐにこの街になじめました。こういうのを「縁」っていうんですかね。そして僕と香港のつながりを決定づけたのは、当時ペガサスでチームメートだった岡野雅行さんの何気ないこんな一言でした。
「祐人はまだ若いんだから、ここで7年プレーして香港代表を目指せば?」
岡野さんもまさか、僕がずっとこの言葉を心に置き続けてきたとは思わなかったでしょうね。
2年前、僕はついに香港パスポートを取得しました。そして同じ日に香港代表に召集され、「中村祐人」という名前が香港サッカーの歴史の1ページに刻まれることになりました。もちろん、いろいろ言われましたよ。「もう二度と日本サッカーにかかわるな」とかね。
でも、これが僕の人生ですから。
僕は香港が大好きで、香港サッカーが大好きで、このパスポートは僕なりの香港サッカー界への最大の恩返しです。今も、香港市民になったことにまったく後悔はありません。
ただ、国籍が変わったからと言って、生まれ育った日本に関心がなくなるわけではありません。ニュースで日本のコロナ感染が広がっているのを見るのはとてもつらいことでした。弟の妻が最近、双子を出産しました。日本は現在、外国人の入国を禁止しています。そんな状況において「元日本人」の私ももちろん入国はできません。なのでとにかく早く状況がよくなることを願うばかりです。日本のために何かできることがあれば、できる限りのことはしたいと思います。
ただ、あの日、3月29日ですね。本当にショックなことが起こりました。香港プレミアリーグが中断になってから1週間後でしたが、「志村けんさんが新型コロナウイルスで死去」のニュースが目に飛び込んできました。多くの日本人に愛された、あの「バカ殿様」の逝去の報に、死とは突然訪れるものであり、こんなにも身近なものだったのかと思い知らされました。東京五輪の延期、世界中の国々の緊急事態宣言の発令、志村けんさんの逝去、品薄の生活用品を奪い合うニュース…。世界が悲しいニュースばかりで覆われてしまい、気持ちがふさぎそうになることもありました。
でもそんな時、そばにいてくれる妻を見ると、とても安心できました。
【夫婦でコロナと戦う日々】
リーグが中断になったので、当然妻と一緒にいる時間が増えました。まぁ元々二人で一緒に行動することも多かったですけどね。チーム練習が終わってから、一緒に買い物にいったり、カフェにいったり。なのでステイホームになったからといって、劇的に生活が変化したというわけではありません。僕は普段から家事もやりますし。掃除とか洗濯とか。料理も少しはできるようになってきたかな…。
家にいる時間が長いので、オセロを買って遊びましたね。でも僕ばかりが勝つので、妻はそのうち飽きちゃったみたいです。最近は映画「クルスク」を観ました。たまにですが妻が観るディズニー映画を一緒に観ますね。妻は癒されるんだっていってます。
妻ももちろんコロナでいろいろありました。日本にいる友人がコロナでバレエ教室を中断せざるを得なくなり、収入面でも影響を受けました。妻はその友人の力になりたくて、Youtubeを使ってレッスンする方法はないかと相談に乗ったりしていました。
とても繊細な妻は、僕のメンタル面も心配してくれました。リーグが中断され、いつ再開できるかもわからない。妻はできるだけ「今後どうなるんだろう」という話題はしないようにしてくれていました。考えても答えの出ないことはできるだけ口に出さない、考えない。優しい妻は「今この時、そして今日一日をしっかり生きることが大事だよね」と言ってくれました。
コロナで世界がこんなことになって、「世界ってこんなことになりうるんだな」というのが、今の僕の感じていることです。無力感だけでなく、人間の生きていくための努力や意志の強さを感じています。
サッカー界がすべてストップしてしまいましたが、家でトレーニングを続け、妻がそばにいてくれる日々に幸せを感じるとき、僕は「リーグが再開したら、サッカーが普通にできることにもっと感謝しよう」と自分に言い聞かせました。33歳ですから、更なる努力を続けなければなりません。それは夫婦関係も一緒で、一緒にいられる日々に感謝して、何気ない日常をもっと大切にしようと思いました。
コロナ期間に感じたのは、香港人は本当に強くて、お互いに助け合う姿にとても感動しました。そんな僕は香港に何ができるだろうかと考えたときに、同じように外で普通に練習できない子供たちのために、トレーニングメニューを動画を通じて配信し、サッカーの楽しさを伝えています。香港のプロサッカー選手として、もっと香港サッカーが盛り上がってほしいし、リーグ戦がない中、選手たちも日々のトレーニングで奮闘しているんだってことをファンの皆さんに伝えていきたいです。
香港の皆さんと一緒に「今を生きる」。これが今の、そしてこれからの香港プロサッカー選手・中村祐人の姿です。
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